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東京地方裁判所 昭和56年(行ク)85号 決定

申立人 大東京信用組合

被申立人 東京法務局八王子支局登記官

訴訟代理人 瀬戸正義 座本喜一 外三名

主文

一  申立外株式会社大翔産業が昭和五六年九月一六日に別紙一申立書添付物件目録三記載の建物について東京法務局八王子支局にした所有権保存登記申請に対する被申立人の審査、受理及び登記記入手続の執行は、本案判決が確定するまでこれを停止する。

二  申立費用は被申立人の負担とする。

理由

一  本件申立の趣旨及び理由は別紙一のとおりであり、これに対する被申立人の意見は別紙二のとおりである。

二  一件記録によれば、申立人は、昭和五二年三月八日申立外株式会社大翔産業(以下「大翔産業」という。)と証書貸付・手形貸付・手形割引等を内容とする信用組合取引契約を締結し、昭和五二年一二月三一日大翔産業との間で大翔産業所有の別紙一申立書添付物件目録一記載の建物(以下「甲建物」という。)について極度額九〇〇〇万円の根抵当権設定契約を締結し、東京法務局八王子支局昭和五三年一月一三日受付第一六七一号根抵当権設定登記を取得したこと、その後の昭和五五年一月三〇日申立人は右信用組合取引契約に基づき大翔産業に対し証書貸付により七五〇〇万円を分割弁済の約定で貸し付けたが、大翔産業は、昭和五六年一月二〇日までに元本内金四〇〇万円と同日までの利息金を弁済しただけでその後の分の支払を遅滞し、期限の利益喪失約定に基づき期限の利益を喪失したため、申立人は大翔産業に対し目下元本七一〇〇万円と遅延損害金約七〇〇万円の貸金債権を有していること、ところが、大翔産業は、昭和五五年一二月ころ甲建物に隣接して約四・六坪の別紙一申立書添付物件目録二記載の建物(以下「乙建物」という。)を建築して、その保存登記をなしたうえ、その後この乙建物と甲建物とを合棟して同物件目録三記載の建物(以下「丙建物」という。)とし、昭和五六年九月一四日合棟を原因とする甲、乙両建物についての滅失登記及び丙建物についての表示登記の各申請をなしたこと、被申立人は、同日右申請を受理して甲、乙建物についての滅失登記及び丙建物についての表示登記の記入処分を完了したこと、そのため甲建物の登記簿は閉鎖され、申立人が前記貸金債権を担保するために甲建物について有していた根抵当権は対抗力を失うに到つたこと、大翔産業は現在約三億円の負債を有し、本年三月より営業を停止して事実上の倒産状態にあり、丙建物以外に担保となる資産を有していないばかりか、本年九月一六日前記八王子支局に対し丙建物についての所有権保存登記申請及び第三者への所有権移転登記申請を行い、その受付を得ていること、申立人は前記貸金債権について甲建物以外にも共同担保の設定を得ているが、甲建物についての担保権が実行できないとすると約一五〇〇万円の債権回収が不能な状況にあることが認められる。

三  ところで、被申立人は、申立人の本件申立ては執行停止に名を藉りて行政行為の差し止めを求めるものであると主張するが、申立人は、本案訴訟において甲建物の滅失登記処分及び丙建物の表示登記処分(請求の趣旨中に登記申請受理処分とあるのは、右の趣意と解される。)の取消しを求め、本件においては同処分の効力停止の一環として丙建物の保存登記申請審査・受理・記入手続の執行停止を求めていると解される。そのうえ、丙建物の保存登記申請は既に受け付けられており、これについての審査・受理・記入の手続が引き続き行われることが確実であり、かつ、丙建物についての第三者の所有権移転登記申請も同時に受け付けられているのであるから、保存登記のなされるのを待つて、その効力停止の申立てをしても権利保護の目的を達成することができず、本件申立ての方法以外に有効な手段が見当たらないことを考慮すれば、本件申立ては適法と解すべきである。

四  そして、合棟を原因とする甲、乙両建物についての滅失登記処分及び丙建物についての表示登記処分が適法であることを前提として、丙建物についての所有権保存登記及び第三者への所有権移転登記がなされれば、申立人は甲建物について有していた根抵当権を実行できず、少なくとも約一五〇〇万円の債権の回収が不能となることは必至である。

被申立人は、本案訴訟で甲、乙両建物についての滅失登記処分及び丙建物についての表示登記処分が違法として取り消されれば、丙建物についての表示登記に続いてなされる保存登記、更には第三者への所有権移転登記等はすべて覆滅され、甲建物について申立人のためになされた根抵当権設定登記が復活するから、丙建物についての表示登記の効力を停止しなくても申立人に何ら損害が生じないと主張する。しかし、外形上全く合法的な保存登記が存在する以上、これを前提とする所有権移転登記を得た者は合法的に丙建物を取り毀し、重大な変更を加えることもできるわけで、そうなれば、仮に本案訴訟で勝訴しても、申立人は担保物件の物理的消滅、経済的価値の減少という事態を甘受しなければならないし、そもそも本案訴訟を維持する利益の存在にも疑いが生じることとなり、かつ、右のような事態を防止するための有効な対抗手段を見出すことも困難である。その他、善意の第三者による時効取得の完成による担保権の喪失等の不測の事態の発生も考えられないわけではないから、本案訴訟で勝訴すれば申立人に何らの損害が生じないということはできない。また、債権が回収不能となつたことによる損害について、申立人が後日これを国家賠償等の方法によつて回復することが易すくできるとの保障もない。

してみると、丙建物についての保存登記申請に対する被申立人の審査・受理・記入手続の執行により申立人には回復困難な損害が生じ、かつ、これを避けるための緊急の必要があるというべきである。

五  次に、被申立人は、本件は本案について明らかに理由がない場合に当たると主張する。

申立人は、本案訴訟において、被申立人が昭和五六年九月一四日になした、甲建物についての同月一一日合棟を原因とする滅失登記申請受理処分及び丙建物についての同原因の表示登記申請受理処分の各取消しを請求している。甲建物は物理的に滅失したわけではないから、合棟を原因として滅失登記をなし得るかは疑問の存するところであるが、それはともかくとして、右滅失登記の申請が受理されれば、甲建物の登記簿は閉鎖され、申立人の甲建物に対する本件根抵当権は、その対抗力を消滅させられることになるわけであるから、不動産登記法一四六条の法意に照らし、右滅失登記の申請を受理するためには、少なくとも申立人の承諾書又は申立人に対抗できる裁判の謄本を要求する等、申立人の権利保護のための措置をとるべきものと解する余地があり、右保護措置を欠いたまま右滅失登記の申請を受理し、申立人の不知の間に、本件根抵当権の対抗力を消滅させることには違法の疑いがないわけではない。そして、甲建物の滅失登記申請受理処分が違法である場合には、これを前提とする丙建物の表示登記申請受理処分も違法の評価を受けることになりかねないから、本件申立は本案につき理由がないとみえるときに該当しないといわなければならない。

六  被申立人は、本件申立てを許容すると、執行停止の間登記簿謄本等を交付することができず、不動産登記法二一条一項の趣旨を没却する結果となり、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張する。

確かに、本件申立てを許容すると、本案判決が確定するまでの間長期に亘り本件各登記の効力が不安定な状態に置かれ、更に丙建物についての新たな登記処分はなし得ないという事態が起きることは否定できず、その影響は無視し得ないけれども、他方、滅失登記、表示登記の効力に前記のような疑義があるのに、これを放置して新たな取引関係に立つ善意の第三者の出現を許すことは、これらの者の利益を顧みないことに等しく、徒らに紛争を錯綜させるもので到底無視できないところであるといわねばならない。そして、登記簿謄本等の請求に対しては、表示登記のみの存する登記簿謄本等を交付せざるを得ず、これを信頼した第三者を害することになるかも知れないか、表示登記のみを信頼した第三者の保護には限界が存してもやむを得ないところである。したがつて、本件申立てを許容することが直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるものとはいえない。

七  よつて、本件申立ては理由があるからこれを認容することとし、申立費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 泉徳治 大藤敏 岡光民雄)

別紙一

執行停止申請書

申請の趣旨

一 被申立人は、申請外株式会社大翔産業が、東京法務局八王子支局に対し、昭和五六年九月一四日になした別紙物件目録三記載建物に関する保存登記申請調査手続、同受理手続及び同記載手続の執行を東京地方裁判所昭和五六年(行ウ)第九三号建物滅失登記申請等受理処分取消請求訴訟の判決確定に至るまで停止せよ。

二 訴訟費用は被申請人の負担とする。

との裁判を求める。

申請の原因

第一行政処分の存在

訴状請求原因第一記載のとおり。

第二本件行政処分の違法性

同第二記載のとおり。

第三執行停止の必要性

一 申請人は申請外株式会社大翔産業(元の商号を不死鳥不動産株式会社という。以下申請外会社と略称する。)との間に、昭和五二年三月八日証書貸付・手形貸付・手形割引等を内容とする信用組合取引契約を締結し、信用組合取引を開始した。右信用組合取引契約には(一)申請外会社が申請人に対する債務の一つでも期限に弁済しなかつたときは、申請人より通知催告等なくても申請人に対する一切の債務について期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する。(二)申請外会社が申請人に対する債務を履行しなかつたときは、支払うべき金額に対し年一四・六パーセントの割合による遅延損害金を支払う旨の約定があつた。

二(一) 申請人は申請外会社との間に、昭和五二年一二月三一日、別紙物件目録一記載建物(以下甲建物という)について、極度額金九〇〇〇万円の根抵当権設定契約を締結し、東京法務局八王子支局昭和五三年一月一三日受付第一六七一号をもつて左記のとおりの根抵当権設定登記を取得した。

原因    昭和五二年一二月三一日設定

極度額   金九〇〇〇万円

債権の範囲 信用組合取引、手形債権、小切手債権

債務者   不死鳥不動産株式会社(申請外会社の変更前の商号)

根抵当権者 大東京信用組合

(二) その後、申請人は申請外会社に対し、昭和五五年一月三〇日、前記信用組合取引契約にもとづき、左記のとおりの証書貸付を行つた。

貸付金額 金七五〇〇万円

弁済期  昭和五八年三月二〇日

弁済方法 分割弁済の方法によつて昭和五五年三月より同五八年二月まで、毎年毎月二〇日限り毎回金二〇〇万円宛弁済し、同五八年三月二〇日限り金三〇〇万円を弁済して完済する。

利息   年九・〇パーセント

利息の支払い方法 昭和五五年三月二〇日までの分を契約成立の時に前払し、以後毎月二〇日限り一ケ月分宛前払する。

損害金  年一四・六パーセント

三 申請外会社は、右貸金元本につき昭和五六年一月二〇日までに金四〇〇万円を弁済し、右同日までの利息金の支払をしたが、右同日に支払うべき金員の支払をせず、以後申請人に対し何らの弁済をしない。従つて申請外会社は第一項(一)記載の約定に基づき右貸付金債務につき期限の利益を失つた。

よつて、申請人は申請外会社に対し、右貸付金残元本金七一〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一月二一日より完済まで年一四・六パーセントの割合による約定遅延損害金の請求権を有している。

四 ところが申請外会社は、右甲建物に隣接して小さい建物を建築しこれについて、表示保存の登記をなした上、その後に右両建物を結合して、新たな一棟の建物として、従来の各建物について合棟を原因にして滅失登記をなし、これにより、甲建物について、第三者に対抗しうべき担保権を有する申請人らの担保権を消滅させた上、合棟後の建物について、表示保存の登記を得ると同時に第三者に所有権を移転するという方法により、自己の利益をはかろうと企て、昭和五五年一二月ころ申請外会社は甲建物に隣接して約四・六坪のプレハブ造りの別紙物件目録二記載建物(以下乙建物という)を建築し、表示保存登記をなし、その後これを甲建物に結合して別紙物件目録三記載建物(以下丙建物という)となし、昭和五六年九月一四日、甲・乙・両建物の滅失登記並びに合棟後の丙建物の表示登記の申請をなし、前記のとおり右各申請は、いずれも被申請人によつて右同日受理され、甲乙両建物の滅失登記が完了しまた右同日両建物の表示登記が完了した。

五 申請人は右建物について滅失登記がなされ、丙建物について表示登記が完了したとの情報を得たため、右丙建物の表示登記の謄本入取が可能となつた昭和五六年九月一六日朝一番で丙建物の表示登記の謄本を入取して、東京地方裁判所八王子支部に対し同日丙建物を差押建物として不動産仮差押申請手続(同支部昭和五六年(ヨ)第六五一号不動産仮差押事件)をなし、同日、仮差押の決定を得て、前記八王子支局に対し、仮差押決定に基づく嘱託登記手続の申請をなしたものである。しかし、申請外会社は、右同日の午前中に丙建物の表示登記の謄本を入取するや直ちにかねてより用意の丙建物の保存並びに第三者への移転の登記に関する申請書類を前記八王子支局に提出し被申請人の受付を得ていた。これにより、申請人の得た仮差押決定に基づく嘱託登記申請は却下必至の情況にある。

六 申請外会社は現在総負債額金三億円を有し、昭和五六年八月より営業を停止し、事実上の倒産状態にあり、本件丙建物のほか担保余力を有する何らの資産も有していない。

七 申請人は前記貸付について甲建物の外にも共同担保の設定を得ているものの貸付金残元金七一〇〇万円にかえて、既に損害金約七〇〇万円が発生しており、他の設定物件の担保価値を差し引いても、少なくとも金一五〇〇万円について、債権回収が不可能な情況に陥つている。

八(一) もし仮に、このまま被申請人が受付た申請外会社の丙建物に関する保存登記申請調査手続、同受理手続及び保存登記の記載手続の執行を許すならば、今後丙建物について、善意の第三取得者や担保設定者が続々と発生することが予想され、さような事態に陥れば、本訴請求が認められたとしても、申請人には善意の第三者との利益の調整をする必要が生じる等債権回収上測り知れない不利益が生ずることは明らかである。

(二) また、善意の第三者の登記が丙建物についてなされることを防止せず前記手続の執行を漫然と許容するならば、本訴請求を認めることは善意の第三者の権利を消滅させることになり取引社会を著しい混乱に引き込むこともまた明らかであり、右の意味における取引の安全を守る必要性からも右手続の執行は停止されなければならない。

(三) そして善意の第三者の発生により、本訴請求を認めることが、取引社会を混乱させる結果となり公共の福祉に反すると認められるに至れば、申請人は本訴請求において、著しく不利益な立場に立たされ、ひいては敗訴の危険を負担する不利益を受けるであろうことは十分予想できるところであり、かような善意の第三者の発生は前記手続の執行停止をなすほか、防止の方法のないものであつて右事態の発生による申請人の債権回収上の損害は申請外会社の現時点までに明らかになつた背信的行動態度及び劣悪な資産内容から考え回復不能な損害と言わざるを得ない。

(四) また、現段階で執行停止を認めるならば、本訴請求の手続内において、申請人・被申請人・申請外会社及び同会社からの第一次転得者との間において、早期に和解が成立する可能性もあるところ、本件執行停止を認めないならば、申請人より右早期和解の機会を失わせることとなり、右和解の機会の喪失は申請人にとつて回復の困難な損害と認められる。

(五) 右のとおりの申請人に関する回復し難い各損害の発生を避けるため、本件各処分の執行を停止する緊急の必要性がある。

九 よつて申請人は被申請人に対する前記保存登記申請調査手続、同受理手続、及び同記載手続の執行を停止する旨の決定を得たく本申請に及んだ次第である。

物件目録〈省略〉

別紙二

意見書

申立人の行政処分執行停止の申立てに対して、被申立人は次のとおり主張する。

第一申立ての趣旨に対する答弁

本件申立てを却下する

申立て費用は申立人の負担とする

との決定を求める。

第二申立ての理由に対する答弁

一 第一について

訴状請求原因第一の一の事実を認める。ただし、商号の変更年月日は、昭和五六年一月六日が正しい。

同第一の二の事実を認める。ただし、乙建物についての所有権保存登記は、昭和五六年二月一三日が正しい。

同第一の三の事実を認める。

二 第二について

同第二の主張を争う。

三 第三について

一の事実は不知。

二(一)の事実を認める。

二(二)の事実は不知。

三の事実は不知

四のうち、「ところが」から「自己の利益をはかろうと企て、」までは不知、その余は認める。

五のうち、申請人が昭和五六年九月一六日東京法務局八王子支局に仮差押決定に基づく嘱託登記手続の申請をしたこと、申請外会社が右同日丙建物の保存並びに第三者への移転の登記に関する申請書類を同支局に提出し、被申請人がこれを受け付けたことを認め、その余は不知。

六の事実は不知。

七のうち、申請人が甲建物の外にも共同担保の設定を得ていることは認め、その余は不知。

八の主張を争う。

第三被申請人の主張

一 申請の趣旨について

申請人は、被申請人に対し、保存登記申請調査手続、同受理手続及び同記載手続の執行の停止を求めているが、右申請は、執行停止に名をかりて行政行為の差し止めを求めるものであつて、到底許されないところである。

行政事件訴訟法二五条の定める執行停止は、すでになされた処分の効力、処分の執行又は手続の続行を停止する制度であつて、未だなされていない処分(本件においては保存登記処分)をなしてはならない旨命ずる制度ではないのである。

二 申請人は、本案訴訟において、すでになされた表示登記処分の取消しを求めているので、本件執行停止の申立てにおいて、右表示登記処分の効力の停止を求める趣旨であると善解するとしても、次に述べるとおり右申立ては不適法である。

1 申請人には執行停止を申し立てる利益及び回復困難な損害を避けるため緊急の必要性がない。

申請人が本案訴訟において主張しているとおり、甲、乙両建物に係る滅失登記処分及び丙建物に係る表示登記処分が違法であつて取り消されるとすれば、たとえ丙建物に関し、右表示登記に引き続いて、保存登記、更には第三者への所有権移転登記等がなされていたとしても、これらはすべて覆滅され、甲建物(執行停止申請書別紙物件目録一記載の建物)についてなされていた申請人のための根抵当権設定登記が復活するに至るのである。

したがつて、申請人は、前記表示登記処分の効力を停止しなくても、何ら損害を被ることはなく、行政事件訴訟法二五条二項の「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」に当たらないのみならず、執行停止を申し立てる利益を欠くものというべきである。

(一) 申請人は、丙建物について、善意の第三取得者や担保設定者が続々と発生するような事態に陥れば、本案訴訟に勝訴しても、善意の第三者との利益の調整をする必要が生じる等、債権回収上測り知れない不利益が生ずる旨主張するが、申請人が本案訴訟に勝訴した場合に生ずる事態は前記のとおりであり、申請人としては、回復された登記に基づいて権利を行使すれば足りるのであつて、申請人が主張するような不利益が生ずることは考えられないところである。

(二) 申請人は、取引の安全性を守る必要性を云々し、また、善意の第三者の発生により、申請人が本案訴訟において著しく不利益な立場に立たされるおそれがある旨を主張する。

しかしながら、取引の安全性を図ることは申請人の利益とはいえないし、善意の第三者が生ずることによつて、本案訴訟において申請人が不利益な立場に立たされるなどということは、本件本案訴訟の内容からして到底考えられない。

(三) 更に、申請人は、和解の機会の喪失をいうが、本件執行停止を認めるか否かと、和解の機会とは何ら関係がないか、仮に何らかの関係があつたとしても、全く偶然的なものであつて、これをもつて法律上の利益とはいえないし、また、このような機会が失われることになつたとしても、これをもつて回復困難な損害とはいえない。

2 本件は、本案について明らかに理由がない場合に当たる。

(一) 本件処分の経緯は、申請人が訴状請求原因第一において主張しているとおりであるところ、丙建物の状況は疎乙第三号証記載のとおりであり、甲、乙両建物の接合部分の状況は同第四号証記載のとおりである。すなわち、両建物は数センチメートルの間隔を置いて密接して建てられ、甲建物については、北面一〇・四メートル中、乙建物については南面四・九メートル中、それぞれ二・七二七メートルの隔壁が除去され、遮断部分がなく、一個の住宅として利用されている状態である。

申請人は、本件の場合、旧建物はいずれも原形をとどめているので、物理的にも社会観念上も旧建物が滅失したとはいえない旨主張するが、右のような構造、利用状況からすれば、甲、乙両建物はそれぞれ独立性を失い、合棟後の丙建物は甲、乙両建物とは別個の新たな建物というべきである。

(二) 右のように、登記された二個の建物が合体して一個の建物となつた場合には、従前の建物は合体後の建物の一部となり、法律的にも事実的にも、独立した建物としての存在を失い、丙建物という一個の建物に変つたのであるから、従前の建物は滅失したものとして取扱い、これについては滅失登記をなし、合体によつて生じた新たな建物については表示の登記をなすのが相当である(名古屋地裁昭和四四年一〇月三日判決・訟務月報二一巻七号一四六一ページ、名古屋高裁昭和四五年七月六日判決・同号一四六二ページ参照)。

(1) 申請人は、右の手続を認めると、旧建物に対する第三者の権利を不当に害し、極めて不合理な結果を招来する旨主張するが、旧建物が独立した建物としての存在を失つた以上、旧建物に対する第三者の権利が消滅するのは当然のことであり、やむを得ない結果であるといわなければならない。

(2) また、申請人は、合棟の場合に滅失登記手続を準用するとしても、旧建物上の根抵当権は、合体後の建物に登記されるべきことになり、この場合不動産登記法一四九条一項に従い、根抵当権者に対し通知手続をなすことを要するところ、右手続なしに甲建物について滅失登記手続をなしたのは違法である旨を主張する。

しかしながら、右主張の前提である旧建物上の根抵当権が合体後の建物に登記されるべきであるとの主張は、立法論としてはともかく、解釈論としては採り得ないところである。何故なら、甲建物と丙建物とは別個の建物であるから、甲建物上の権利を丙建物について登記するなどということは、現行法上考えられないところだからである。

(3) 更に、申請人は、滅失登記処分をなすについては、事前に申請人に告知し、意見陳述の機会を与えることが憲法上の要請であるのに、右手続を経ずになした本件滅失登記処分は、適正な法律の手続によらないで財産権を侵害したもので、憲法に違反する旨主張する。

しかしながら、滅失登記処分は、登記された不動産が独立の存在を失つた場合に、これを登記簿に反映するための処分であつて、これによつて右不動産上の権利を剥奪するものではない。事件に即して言えば、申請人の根抵当権は、甲建物が独立の存在を失つたことによつてすでに消滅しているのであつて、甲建物の滅失登記によつて消滅したのではないのである。したがつて、適正な法律の手続によらないで財産権を侵害することが憲法に違反するとした最高裁判決に依拠する申請人の右主張は、当を得ないというべきである。

(三) 以上のとおり、本件滅失登記処分及び表示登記処分については、何ら違法な点はなく、本件については、その本案について理由がないことが明らかである。

3 本件執行停止を認めることは公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。

本件執行停止が認められると、丙建物について登記申請があるのに未処理の状態が継続することとなるので、執行停止が続いている間は、右建物について登記簿謄本等の請求があつても、これを交付できないこととなる。何故なら、登記簿謄本等は、謄本の認証日における登記簿上の権利関係を証するものであるところ、認証日現在未処理の登記申請があるのに謄本等を交付すると、その後に認証日以前の受付け日付けによる権利関係が登記されるという事態を生じ、登記簿謄本等の記載を信頼した第三者を害することとなるからである。

そして、特定の不動産について、長期間登記簿謄本等を交付できない事態を現出させることは、「何人ト雖……登記簿ノ謄本若クハ抄本……ヲ請求……スルコトヲ得」(不動産登記法二一条一項)との規定の趣旨を没却することとなり、著しく公共の福祉を害するものというべきである。

三 結論

以上のとおりであるので、本件申請はすみやかに却下されるべきである。

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